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1987 [おもいでがたり]

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小遣いのすべてが、CDとスタジオ代に消えていた頃。

新聞のテレビ欄の脇にあった広告に、ワタシは目が釘付けになっていた。

”BEAT CHILD、日本最大のロックフェス”

1987年。
阿蘇のふもとで開催された、日本最大のロックフェスだ。
しかもオールナイト、18歳以下の入場禁止のイベント。

ワタシは高校につくや違うクラスに居た友人たちと集まって、その話で盛り上がった。
16歳にとって、阿蘇は遙か800km以上離れた想像も出来ない遠い場所だった。
県外さえも親無しで出たことなんて、まだ無かったんではなかろうか。
 
でも距離なんか関係ない。
ワタシは友人と話し合って絶対にこの夏、
日本最大のロックイベントに立ち会ってやると決めた。
  
しかし、それは叶わなかった。
   
友人の親にこんこんと説得されたし、
親を納得させられなければ、そんなお金どこからも出てこなかったからだ。
 


当時、ワタシはまだクルマになんてまったく興味が無く、
もっぱら音楽にココロのすべてが向けられていた。
毎月の小遣いは、CDとバンド仲間とのスタジオ代に消えていた。

スティックを抱えて毎週商店街の裏道にあったスタジオに通い、
ブルーハーツとレッドウォリアーズのコピーに励んでいた。

2つの高校のバンド仲間でライブハウスを借りて、夏休みにライブをやった。
300円のチケットを高校で売りさばき、
ライブハウス下の喫茶店でたむろしていた。
 
ライブではブルーハーツのリンダリンダ。
最後にタムの連打でドラムが目立ちまくる場面で、
ワタシは演奏に酔うあまり、
その連打が遅くなっていることにすら気づかないほどにヘタクソだったけれど、
でもなんだか”やってる気”になって夢中になっていた。
ボーカルはダイヤモンドユカイよろしく、マイクスタンドを振り回していた。
  
月に1度はライブに足を運んでいた。
ボウイ、PEARL、ECHOES、RED WARRIORS、BLUE HEARTSその他もろもろ。
夏には名古屋城深井丸で行われたロックフェスにももちろん出向いた。
高校2年生の三学期には、
期末試験の真っ最中にも関わらず突撃してしまって、
ワタシの親は何も言わなかったけれど友人の親にこっぴどく叱られたこともあった。

そんな頃にあった、日本最大のロックフェスBEAT CHILD。
音楽雑誌にはライブリポートも必ず載っていて、
PATiPATiやGBなど音楽雑誌を買いあさっていたワタシは夏が過ぎた頃、
BEACHILDの記事を食い入るように見入った。
  
死を覚悟するような嵐のなか決行された、伝説に残るロックフェスBEATCHILD。
    
     
   
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■BEATCHILD1987■
http://www.beatchild.jp

    
  
    
26年の月日を超えて昨夜、その映像を観た。
   
前日のリハでは晴れていた阿蘇のふもと。
当日、またたくまに雨雲が覆いそこは豪雨となった。
現在で言えば、ゲリラ豪雨とでもいうべき恐ろしい風景と、鳴り響くイナズマ。
オープニングを待つオーディエンスの顔からは表情が消え、
ただ打ち付ける大粒の雨の中で立ち尽くすだけの者たち。
芝が植えられているはずの地面は田んぼのようにぬかるみ、
その泥は足首までも覆い尽くしていく。
 
今だったら、絶対に開催中止だろうし続行することなんて許されないだろう。

ナレーターは、
オーディエンスの1%ほどが救急で搬送されたと伝えていた。
 
 
生きるか死ぬかの狭間の中で、
生きるか死ぬかの覚悟の中で歌い演奏を続けた、
当時を疾走し輝いていたバンドたち。
  
ワタシは、出演したバンドのすべての歌を知っていた。
知っていたというよりも、
すべて今でもそらで歌えたしCDも持っていた。
ギターのリフもドラムのオカズも、ぜんぶぜんぶ覚えていた。
  
1987年の自分を、
何もかもを手触りのあるザラザラとしたリアルとして蘇えらせてくれる時間だった。
 
 
 
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22時。
ワタシは目の前にたたずむアルファジュリエッタに乗り込み、
エンジンを唸らせながら高速を走らせて帰路についた。
 
久しぶりに、スライダースのCDを引っ張り出してこようか。
フルボリュームで、BOYS JUMP THE MIDNIGHTが聞きたい。

そして今の自分をあの頃なにもかもを斜に構えて見ていた自分は、
どう見てくれるんだろうか。
ジュリエッタのステアリングを握りしめながら、
そんなことを思いつつ、高速の流れていく景色に身をゆだねていた。  
 




最後にあともう1コ。
今やテレビでお笑いキャラで売っているダイアモンドユカイさん。

プリウスなんか乗ってんじゃねえ!!!
※ワタシ情報ですので話半分でお願いします。

キャデラックCTSとかマスタングとかにしてくれっ。
1987年に高校生だったワタシは、切にそう願っているゾ!!!
 
 


あ、今もう1コ思い出したけどその後社会人になった時、
会社の上司に誘われて年の暮れのライブパーティなんてやっていた。
もちろんワタシはドラムで、
パフィやらシャ乱Qやら盛り上がったなぁ…と。

って高校生のワタシが見たらガク然としそうだな…。



■PHOTOS■Olympus OM-D E-M5 + LumixG 20mm F1.7 ASPH.
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アキオ

アキオの17歳は、バイクとともに。。
ああ、なつかしいなぁ。
ちょっとした排気バーツ、、タイア、、
四苦八苦してやりくりして、、買ってたなぁ。
(バイクソノモノは、、ごにょごにょごにょw)
山道をぐりぐり走ってたあの頃は、悩みなかったなぁ。。
欲しいものはいっぱいあったし、財布は軽かったけれども。
by アキオ (2013-11-06 18:34) 

nal

>アキオさん
アキオさんはバイクでしたね!
なんでワタシは乗り物に興味がなかったんだろう…というか高校でも原チャリくらいしか居なかったですねぇ。厳しい高校だったからかなぁ。

by nal (2013-11-07 09:17) 

アキオ

アキオんとこも、免許禁止でしたよ。
ただ、チェックは、基本原付ばかりだったし、
(試験場にチェックに行くと教えてくれる時代だったんだなぁ、、)
ばれない(変な話だけど)確立高かったんで。。。

ユカイさんは、、結婚してから(いまの)かわりましたねぇ。
最初は、うらやましいお嫁さんだったのに、もったいなw

by アキオ (2013-11-07 20:54) 

alessandro

懐かしいですねぇ
私は田舎だったのでなかなかライブにはいけなかったけど、初めて行ったブルーハーツは忘れられない思い出です。最近うるさくてち○こだせなくてごめんなーって謝っていたヒロトがいました。学生時代は甲本クリーニング店の前で写真とったりしてねw
愉快さんは最近朝のラジオとかにもでてすっかり”いい人”になってますよね。なんだかなーって思うけど、大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない、って叫んでた自分も”大人”してるもんね。。。
あの時背伸びして買った5弦ベースはもうないけれど、25年(!)続けているバンドの時だけはあの時に戻れるのかも。
oldのフェンダーを買って自分だけの防音室で弾けるようになるよっていってもあの頃の自分はきっとちっとも喜んでくれないだろうな
by alessandro (2013-11-08 01:30) 

nal

>アキオさん
前の奥様を語るあたり、世代ですね(笑)
免許禁止でしたよね〜先生が試験場にチェックに来て、懐かしいなぁ。
>alessandroさん
ブルーハーツのデビュー直後に行ったライブで、良い席取れなくて2階の最前列で…転落防止のために「座れ!」厳命で目の前に警備員がズラッと並んでまして、あんときは腹立ったな〜ということを思い出しました(笑)
昔はハウンドドッグとかまったく興味がなかったんですけど、今ああやって映像としてズラッと見ると、全体として時代の一体感というのでしょうか…ものすご「いいなぁ」って思います。
まあオッサンってことですな(苦笑)
aleさん!やっぱキッチンは情熱の赤で!白なんて日和ってる場合じゃないですよ!!えー我が家は白ですが何か?

by nal (2013-11-08 09:56) 

mr.hardcore

これ気になってましたー。文章拝見してるとnalさんと私って、思ってたよりも年齢差ありそうですね。
(・_・;
ダイアモンドユカイのことをただの変なおじさんと思ってる若い子は多いでしょうねー。
レッズは僕の世代ではないのですが、グッバイオレたちぃのぉ♪
って曲は好きです?
by mr.hardcore (2013-11-09 21:13) 

nal

>mr.hardcoreさん
ロシアンヒルの上で、ですね!
えーどっちが上でどっちが下なんでしょうか?(ニヤ)
かれこれ10年近くブログ書いてますんで、読み返すと感慨深かったりします。スタートは、2004年ですので…。
ちなみに、BEATCHILDはもう終わっちゃいましたよ〜DVD化も一切予定無し!だそうです。
by nal (2013-11-10 09:01) 

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