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2004年からのありがとうを込めて [想い]

長男が生まれて半年ほどが過ぎた頃、私は初めてwebの世界に情報発信をした。
あの時はドキドキしたなぁ。
発信した情報が本当にどこかに届くのか、それとも漂うのみなのか、
2004年の私は期待と不安の真ん中でMacの画面と向き合っていた。

あえてソネブロと書いてしまうが、
私がソネブロの住人となって実に20年以上が過ぎてしまった。
その頃0歳児だった長男は二十歳となり、
そして生まれる瞬間までをこのブログに綴った次男もがすでに成人だ。
2人とも自らの力で進む道を選び、関東の地で一所懸命に生きている。
 
そんな私の20年と共にあったソネブロもいよいよフィナーレを迎えるということで、
最後に誰にも話せないような、
ブログの世界だからこそ書き殴ってしまえるような心の内を
ここに残しておこうと思う。




<PART1>

”結婚してからの人生は、家族に捧げよう”と、二十代の頃には深く胸に刻んでいた。
二十歳から二十代後半にかけての私は、
人には言えないような迷惑をたくさんかけ、傷付けてきた自覚があった。
そこから脱却できない自分にも日々苛立っていたし、
誰の心にも痕跡を残さない居なくなり方をしたいと、考えたりもしていた。
新卒から始まった仕事も当時は充実していたが、今思えば大変な激務でもあった。
 
”こんな仕事をしていたら結婚なんてできないし、誰も幸せに出来ない”
 
そうして三十を迎える頃に私は現在の職に付いた。
三十代、パートナーに恵まれ家族に恵まれ、
二十代の頃に胸に刻んだ通り、家族のために生きることに喜びを見出していた。
ソネブロを始めた頃は、まさに親バカ家族バカが日々綴られていたように思う。
 


 
<PART2> 
  
10年ほど前、私は決断を迫られた。
その少し前から、私は仕事の代表者となっていた。
個人事業同然だった今までの働き方から、
”もっと頑張って、仲間を増やして会社を大きくしてみたい”と
代表者としての夢を描いていたのはこの頃だ。
  
同時に、我が子たちはひょんな流れで中学受験をする流れになり、
私はどっちでも良かったが「やる」というのなら全力で応援すると決めていた。
塾の送迎や、我が子たちの自宅学習の補助、
一緒に問題を解いたり、本屋さんで参考になる本を探したりもした。
模試の日には、何度も付き添った。
  
そんな中、長男が小学6年生に上がる前の冬のこと。
私は一般的には「大病」に分類される病気を患ってしまった。
あの頃の感情が不安定だったことは否定しないが、
将来を悲観するに十分な病気でもあり、
私は人生の終わりを意識するような生き方になっていた。
  
どうせ居なくなるのなら、
若く見える姿で居なくなりたいと思い、急に白髪を染め出したのもあの頃。
銀行口座の暗証番号等のリストを作り始めたのもあの頃。
生命保険なんかの見直しに始まり、「死に支度」みたいな行動をしていた。
  
そんな中、私の中で湧き上がっていた大きな感情があった。
    
   
”私が居なくなったとしても、パートナーが決して苦労しない暮らしを残しておきたい”
  
  
一番に考えたいたのはこれだった。
そのために、大きく安定した会社にすることも考えた。
ただ発病した当時はまだ心身ともに弱っていたので、バリバリと100%では働けない。
ただ会社を安定的にしたいという考えは心の中にあった。
  
それと同時に、我が子たちの中学受験についてもよく考えていた。
我が子二人は、小学5年生になって楽しく塾に通い知識欲に目覚め、
充実した日々を送っている。
しかし私に万が一のことがあった時、家族は経済的に大丈夫なのだろうか。
中学進学の前だったら、受験自体を断念しなければならないことも考えられるし、
進学した後の場合、
私立中学の学費を鑑みても経済的に困る事態が起こり得るのではないか。
私が居なくなった時、本当に子供たちはしっかりと生きていけるのだろうか。
パートナーは苦労を抱え行き詰まってしまわないのだろうか。
 
長男が小学6年生になる間際の頃、そんなことをよく考えていた。
 
 
そして私の中で至った最後の結論はこうだ。
  
私が居なくなっても何も困らないくらい、
自立した素晴らしい我が子たちを残すことが、私の生きる意味なのではないか、と。
  
会社を大きくすることよりも、
私が成しうる最も大きい可能性は、我が子たちを支え続けることだ。
今、せっかく中学受験をすると決めて日々励んでいるのなら、
今までにも増して全力で彼らを応援しようと。
打算的なことを書いてしまうが、
少しでも将来の可能性につながる進路を歩いてくれれば、
素晴らしい青年に育ち、
私が居なくてもお母さんに苦労させることは無いだろう、と。
  
そのためには、
我が子が学生を終え社会に出るまで、私は居なくなるわけにはいかない。
それと同時にその道を歩めるよう私は経済的に支えなければならない。
健康でいること。彼らを支えられるだけの収入を得ること。
  
”結婚してからの人生は、家族に捧げよう”
   
二十代の頃に考えていた誓いが、この時に改めて胸に刻まれたのだった。
 




<PART3>

我が子たちを全力で応援すると決めてから、
私は禁煙をし、飲酒量も科学的に良いとされるレベルを超えないようにし、
ウォーキングを日課とし、定期的な通院を始めた。
人間ドックの数値は、ほぼ異常値なしの生活を続けた。
仕事はもちろん浮き沈みはあるのだが、
おかげさまでやり甲斐もあり、我が子たちを経済的に支えられるだけのものを得られた。

我が子たちも、中高一貫校なだけに中弛みがあったり、
思春期反抗期に突入して、親の意思なんて通用しない時期もあったのだが、
おかげさまで素晴らしい結果を残して
長男次男ともに関東の大学へと旅立っていった。





我が子たちの将来のことは誰にもわからないけれど、
今のところは順調に地に足を付けた人生を歩んでくれていると思う。
そして私自身についても、
今日までのところは、満足できる生き方をしてこれたと思っている。

いろんな人を傷付け迷惑をかけたことは今でも忘れないし、
そして途中では病気を患うという大きなアクシデントもあった。

けれどそれがあったからこそ、今こうして生きているとも言えるし、
何もなかった人生とどっちが良かったのかなんてことは誰にもわからない。

ただ少なくとも”家族のために生きよう”としていた三十代の頃、
そうは言っても「家族のためだけに生きている自分」は多少は息苦しいこともあったし、
たまったストレスの捌け口が見つからずモヤモヤしていたこともあった。
 
そんな時に「ソネブロ」は私の大きな生き甲斐の一つになってくれた。

20年以上続けたこの場所がなくなるのは寂しいけれど、
今の私には他に生き甲斐も楽しいこともたくさんあるし、
ソネブロに対しても大きな感謝で見送りたいと思っている。
  
あ。
当然Seesaaに丸ごと引越しますので、
引き続き書くことは続けるつもりですけどね。

ソネブロ人生20年
最後にこの記事をここに置いて、サヨナラさせていただきます。
たぶん3月になるまでには引っ越している予定。
そしてこんなセンチなことを書きながら、今後も月イチ書くかどうかも微妙(苦笑)
 
ただ私の三十代四十代(と五十代)の大きな句読点なのは間違いないです。
 
今まで、ありがとうございました!
そして新しい場所でよろしくお願いいたします。ペコリ。

2025.02.07 nal



02.jpg
■2007年頃■



03.jpg
■RoadterRF■絶好調です■



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■2024年■次男入学式のディナーにて■


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GEN11

途中まで、えっblogやめちゃうの?ってヒヤヒヤしながら読んでました。いまさら抜けないでくださいよ〜笑。

持病あると先々のことを考えますよね。わかります。ワタシも余命宣告受けた時はさすがにショックでしたが、今のところはまだ記録更新中です笑。
したいことはやりつつ、お身体お大事にして、長く生き続けてくださいね。引っ越し先でもよろしくお願いします!
(お先に引っ越したのでnice!押したけどアイコン出ませんね)
by GEN11 (2025-02-08 14:35) 

nal

>GEN11さん
ありがとうございます〜。実は会社のサイトはお先に引越し済なのですが、レイアウト崩れたり使い勝手が違ったりでてんやわんやしてます(笑)
GEN11さんも何かを抱えながらの生活なのですね〜お互い頑張りましょうね。とりあえず次男が社会に出るのは6年後なので、ちょうど私還暦なんです。そこまでは何としてもしぶとく頑張ります(笑)
by nal (2025-02-10 09:18) 

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