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セルフ貧乏、お気楽暮らし [おもいでがたり]

30歳までに職を変わると決めていたのはずいぶん前からのことだった。
会社の上司にもそう宣言していたし、事実そのまま実行する決意でいた。
ひととおりの引き止めは受けたものの、
2年前から「退職する宣言」していたので半ば会社も諦めていたことだろう。
2000年の5月、宣言通り私は会社を辞めた。
 
とはいえグータラ者の私のことだ。
すぐに新しい仕事をバリバリはじめる前に、どうしてもやりたいことがあった。
それは自分のクルマで気ままに旅すること。
  
特に北海道。
  
大学3年と4年のときに2度、
自分のクルマでアポなし北海道旅行を満喫した。
出かけた旅先数あれど、思い出という意味では真っ先に脳裏によぎるのは北海道だ。

どうしても北海道に行きたい、それも絶好の季節に。
絶好の季節とはもちろん、7月から8月だ。
どうしても美瑛の丘に咲き誇るラベンダーが見たい。
私は計画を練った。
アポ無し気まま旅行だから本当のハイシーズンは避けたい。
つまり夏休み前の、7月上旬だ。
私は念願の気ままな北海道旅行の照準を7月上旬に定めた。
そうして5月頭から、セルフ無職のお気楽生活が始まった。
   
最初の頃は本当に好き勝手に暮らしていた。
やてみたかった料理をたくさん作り起きたい時間に起き、映画を借りて観まくった。
昔を思い出してドラムを購入し、一日一回のノルマを決めて叩きまくった。
   
休日も少なく勤務時間の長い営業を7年以上続けたうっぷん晴らしのように、
それはそれは気ままな暮らしだ。
ずっと私が好きなアーティストを好きな方の集まるネットコミュニティを覗いて、
いわゆる「オフ会」って奴に参加したのもこの頃だ。
毎週水曜日はチャットの日。
会社員時代には絶対に参加なんか出来なかったけれど今なら出来る。
趣味が共通の仲間たちと、公園でギターを抱えて歌ったりもした。
 
6月。  
まだ、北海道に赴くには早い。
その頃になると、私はとある事実に少しずつ気付きはじめた。
貯金が減って行くのが猛烈に早いことに。
   
冴えない無職の自分ひとり。
こんなちっぽけな自分ひとりが息をして生きていくだけで、どんどんお金は消えて行く。
住宅ローンに保険代、年金に光熱費。携帯電話代にもちろん食費。
クルマの維持費にガソリン代、住民税だって前年の収入に応じてやってくる。
私の計算では半年以上は遊んで暮らせると思っていたのだが、
徐々に雲行きがあやしくなっているのに気付いた。
私は少しだけ控えめな生活を意識しはじめた。
出来れば念願の北海道旅行で、パーーーっといきたかったからだ。
そして、少しずつ旅行の準備もはじめた。
 
念願の7月になり二週間以上、北海道を旅して回った。
当初の目標予算は15万円。多いように聞こえるが実はそうでもない。
たしかフェリーでのクルマと自分の往復分だけで5万円以上。
全部で4000キロほど走ったから、ガソリン代だって相当かかった。
滞在していたうち宿に停まったのは3回か4回くらい。
あとは道の駅で車中泊だ。
私のクルマはちいさなオープンカーだったから毎日寝違えて大変だった。
7月にも関わらず宗谷岬の道の駅の夜は相当寒かった。
食事だって豪勢にキメたのは3、4回だけ。
あとはセイコーマートでおにぎりを買ったりした。
飲み物も道の駅で水筒に水を入れてそれを飲んでいた。
 
でも、本当に楽しかった。
 
帰ってきても旅の楽しさが忘れられず、
私はもう1回だけでも何処かへクルマで旅したいと思った。
最初は九州へ行くつもりだったけれど、
お金のことを考えると二週間なんて旅は出来そうにない。
暑さもおさまるであろう9月末か10月初旬頃に四国を一周してやろうと決めた。
だって8月や9月上旬の熱帯夜に、
車中泊で過ごすなんてとても想像出来なかったからだ。
   
この頃になると、もう貯えの底が見えるようになっていった。
「息をしているだけで出て行く出費」を計算に入れるともう余力はなさそうだ。
私は削れるだけ固定費を削るために、どうでもいい下らない努力をはじめた。
   
1、ひと夏をエアコン無しで過ごす。
2、使わないコンセントは全部抜く、夜中の門灯なども点けない。
3、シャワーもフロも、お湯&水量を最小限に抑える。
4、ビールも少なめに。ノドが渇いた時は水筒に入れた水を飲む。
 
そして食事もちょっと前まではアンチョビのパスタなんて作ったりしていたのを、
180度ひっくり返したように見直した。
具体的には主食は「焼きそば」と「納豆ゴハン」だ。
キャベツとモヤシを一番安い店のさらに安いタイムセールで買う。
もちろん麺もだ。たしか4玉で90円だったように記憶している。
肉は贅沢したい時だけ安いヤツを買った。
そして炒める時間を最小限になるように努力した。
納豆も4箱で98円とかのヤツを選んだ。
ガソリン代の節約に、歩いていけそうな店には歩いていった。
  
そうして夏の夜、
肉なし焼きソバを食べつつ気温30度を超える部屋でエアコンも点けず、
照明も減らした殺風景な中で暮らした。
映画を借りるのもやめてずっとシドニーオリンピックを見ていた。
人生を賭けた真剣な表情の選手たちが懸命に走り、そして跳んでいた。
  
高橋尚子の笑顔はその頃の私には目がくらむほど眩しかった。
    
そうして節約を重ねて時は流れた。
9月末。 
ガソリン代なんかを計算すると、なんとか一週間くらい四国には居られそうだ。
「無駄な節約という努力」を重ねに重ねて私は四国へ向かった。
もちろん北海道へ行ったときと同じくすべて一般道で、だ。(瀬戸大橋は通ったが…)
夜中にクルマを走らせて、朝陽の頃には淡路島をノコノコ走っていた。
どこかの海岸でコンビニおにぎりの朝食。
その日は徳島に宿を取り、店を探して徳島ラーメンを食べた。
阿波のあたりから山中を抜けて太平洋に出て、室戸岬へ。
室戸岬のあたりの温泉併設の道の駅で車中泊をした。
  
そして翌日のことだ。
その日ワタシは土佐方面に向かい桂浜を歩いて、龍馬記念館に立ち寄った。
四国の太平洋側にあるスカイラインのようなワインディングを、
屋根を開けたグリーンのゴルフカブリオレで気分よく走った。
5ケ月に渡ったお気楽生活の終焉を薄々感じながらも、
今を楽しめとばかりに陽光の下で風を浴びていた。
 
しかしお気楽生活の終焉は、前触れ無く号砲となって訪れた。
   
   
   
”ッパァンッ!!!”
  
   
   
それは誰も居ないワインディングに響き渡る一発の号砲。
クルマのタイヤがパンクする音だった。
釘が刺さっていてその位置が悪かったのだろう。
みるみるエアは抜け、ズルズルになった。
私はすぐに最寄りの駐車場にクルマを停めた。
   
”チンチン……。”
   
何の銅像の下だったかは憶えていないが、そこで私は黄昏れた。
ぬるい空気と照りつける陽射しが肌を通りすぎて行った。
 
タイヤを替えなければ、グランドツーリングなんて出来ない。
もう走れない。
炎天下でスペアタイヤにはめ替えながら、私はそう思った。
けれど私のサイフには、もうタイヤを買うだけの余力は残っていなかった。
通帳の貯えも底を尽きた。
  
30分くらいはそこで黄昏れていたことだろう。
私の居た場所は明徳義塾高校のすぐ近くだったから、
全国的に有名な野球部や相撲部の練習に励む声も聞こえていたのかもしれない。
前を向いて必死で練習する高校生たちの脇に居る、
お気楽生活が行き詰まって途方に暮れている私。
  
仕方なく、私は実家に母が居ることを祈りながら電話した。
親に何の相談もなく無断で退職したばかりかそこから何の音沙汰もなく、
半年ぶりに息子の声を聞いたと思えばタイヤを買う金の無心。
 
ごくつぶしここに極まれり、だ。
  
けれどもう私には選択肢が他には残されていなかった。
そのままワインディングを降りて銀行に立寄り、
お願いしてあった通りに入金されていたお金を握りしめてカーショップへ。
タイヤを替えるとその日は宇和島のあたりの道の駅で夜を明かし、
念願の四万十へ行ったもののウナギを食べる金もなくゴリか何かを食べた。
沈下橋を渡って足摺岬を眺め、松山のどこかで眠りについて翌日に帰路についた。
  
5ケ月の長きにわたったお気楽貧乏生活はそこで幕を閉じ、
すぐ翌日から私は社会人として復帰した。
三十代に突入する、わずか20日ほど前のことだった。
      
    
あの頃のことは、今振り返ってもまじまじと思い出すことが出来る。
”プチ貧乏体験”と揶揄されても仕方のないくらいのお気楽暮らしだったけれど、
私にとってはとても濃密で、そしてワクワクしっぱなしの日々だった。
学生から社会に出て二十代は働きづめの日々だった。
昔の友人と会う時間なんて全く作れず疎外感さえ感じていた二十代の終わりの頃。
そんなトゲの生えていた自分のココロをリセットするための、大切な5ケ月間。
日々真剣に仕事に打ち込んでいる多くの方から見れば
バカバカしくも無駄な日々に見えただろうけれど、私にはそんな日々が必要だった。
だから何の後悔もないし、あの5ケ月があったからこそ今の私があるとも思える。
   
  
ただ、たったひとつだけ。
自分の愚かしさに打ち震えた瞬間があった。
社会人復帰して数ヶ月した頃のことだ。
数ヶ月と言ってもお気楽生活のツメ跡はもちろん残っていて、
すぐに生活が好転することはない。
収入が不安定ですぐに得ることが出来ないのは当然だし
「息をし生きるだけで出ていく経費」や母に借りたタイヤ代等でお金は消えていく。
まだ私は様々なことに耐えながら生活していた頃だ。
  
そんな時、私が数少ない親友だと思っている友人に子供が生まれた。
彼はすぐに電話をくれ、飲みにいこうぜと誘ってくれた。
私は喜んで快諾した。
そんな時は当然ながら、出産祝いを贈りたいと考える。
それに「飲み代」を工面しなければならない。
私はデパートのベビーコーナーに赴いて出産祝いを何にしようと考えた。
  
ちょっと大きめのダッフルコート(2歳用くらい?)にしようと決めた。
そこで、私が一番気に入って是非これにしたいと思ったコートと、
セカンドベストと言えそうなもう一着に目星をつけた。

出来れば、一番いいなと思ったコートを贈りたかった。
 
けれどその2着には値札に差があった。
「差」とは言ってもわずか2,000円ほどの差。
その価格差が、私を長く躊躇させた。
ベビーコーナーに似ても似つかない三十路独身男ひとり。
たぶん、2時間近く悩んでいたことだろうと思う。
手に取っては悩み、近くのブックコーナーに行って気を落ち着けては考え直し、
そして再びそのショップで頭を抱えた。
 
私が結局最後に手にしたのは、セカンドベストのコート。
わずか2,000円お値打ちなだけのセカンドベストのコートだった。
自分に腹が立って仕方がなかった。いらだちで心が震えた。
親友の一番素敵な記念の日に贈るお祝いさえ、
一番気に入ったものを手に取れなかった自分に。
  
親友は私のためにとっておきの小料理屋を予約してもてなしてくれたし、
2軒目も3軒目もとても素敵なお店に連れて行ってくれた。
 
「来てくれたヤツに払わせるわけないだろ」と言って、
すべて知らぬ間に会計を済ませておいてくれた。
彼の家に泊めてもらい、上げ膳据え膳で歓待を受けた。
そして私が用意した出産祝いを、奥様もことのほか喜んでくれた。
    
私は自分の心の、一番奥の誰にも見えないところで泣いた。
   
その数年後、彼に二人目の子供が生まれた時には、
私は自信を持っていちばん気に入ったお祝いを手にして彼の元へ走った。
ちょうど最初に贈ったコートを、
あの頃赤ちゃんだった一人めのお姉ちゃんが着ていた頃のことだった。
 

 
 


 
 
いきなりこんなおもいでがたりを始めたのには理由がある。
一昨日の25日、ずいぶん以前から友人とBBQに行く約束をしていた。
  
そこで。
 
 

 
R.jpg

 
 
 
h.jpg




あの頃お祝いのコートをどうしようかと店頭で苦悩したあの子は、
もう我が家のRクンとHクンを可愛がってくれる、とても優しいお姉ちゃんになっていた。
  
友人とは何度も飲みに行っていたけれど、お子さんに会うのは3年ぶりくらいだろうか。
Rクンが生まれた頃に一度ご家族で我が家に来て頂いたことがあったのだが、
その頃はとっても人見知りで、すぐにお母さんの影に隠れていたお姉ちゃん。
  
でも今は、面倒見がよくてとっても優しいお姉ちゃん。
  
我が子と仲良く遊んでくれている風景を見ていたとき、
不意にコートを買うのに四苦八苦していたあの頃が脳裏に浮かんだ。
そして重ねてきた年月に。
   
日曜はお姉ちゃんやお兄ちゃんのおかげで、
親である私たちもそして我が子たちも、とっても楽しい一日だった。
本当にとても楽しい一日だった。
  
Hちゃん、また遊ぼう。
我が家のRクンとHクンも、キミと遊ぶのをとっても楽しみにしているよ。
 
 
 


 
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2005.01.13「パンクとガス欠で触れ合った旅」
 
 
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ゆっきぃ

ワタシの人生にも思い切りが必要な気がします・・・。
後になって、ちゃんとつながってくる思い出って素晴らしいですね。
nalさんの人生って濃そうだなぁ。

by ゆっきぃ (2008-05-27 12:44) 

りこっち

なぜだかわからないけれど、私はnalくんのお母さんのような気持ちで読んでしまいました。
大切に大切に愛しみ育てた子供、いつまでも自分のそばに置いておくことはできず、自分の意思で自分の進む道を決めて生きていかなければいけないんですよね。いろんな経験を経てイイおとこになったnalさんをお母さんはきっと誇りに思っていますね☆
なんてことを考えてしまいました。
by りこっち (2008-05-27 19:49) 

alessandro

全ては遠いところで繋がっていくのですね。
でも最終的にはやはり人と人の繋がり、そしてその年月の積み重ねが大事なのでしょう。友人の子供が自分の子供を見てくれるようになる。本当に世界は回っているのだな、と感じます。素敵な体験です。それを素敵と感じれる事も、もっと素敵ですね。
by alessandro (2008-05-27 22:04) 

Nishi

私も時々一人車旅に出かけたくなります。
(実際、休みが取れれば出かけます。)


ある意味、「安全な立場で」のリフレッシュですが、それでも日常から離れたことでやっぱり日常を大切にする気持ちが強くなる気がします。


オンとオフ、両方を大切にできるnalさんだからこそ、その時のこともきちんと繋がって行くんだろうなぁと思いました。
by Nishi (2008-05-27 22:15) 

はる

よその子は大きくなるのが早いです、、、(他の人から家もそう見えるんでしょうが、、、)

1人で自由に、、、どこかへ行ってみたい気もしますが、、、
せいぜい24時間のスーパーとかに子供が寝てから行く位ですね、、、笑。
by はる (2008-05-28 15:07) 

maya

北海道怪我する前に行ってきた
雪と桜を同時に見た!!
by maya (2008-05-28 17:48) 

poi

貧乏だけど
心は貧しくないのが素敵
by poi (2008-05-28 19:59) 

きむたこ

楽しい貧乏がすきだー。
明るい貧乏がすきだー。
でも、貧乏より、
そうでないほうがいいことにこしたことはない・・・。
( ´Д`)

心はいつもリッチキブン。

by きむたこ (2008-05-30 21:41) 

poi

2度目登場!
覗く度に
セルフが セレブと読み違えてしまう・・・
えらい違いだ
by poi (2008-06-03 20:49) 

ひなぐま

お忙しそうですね、お元気ですか〜??
by ひなぐま (2008-06-11 13:26) 

nal

>ゆっきぃさん
濃くないっすよ〜。
まあでも1回きりなんで色々あったほうが楽しいですよね。
>りこっちさん
前半が「くん」付けになってるのにキュンしました(笑)
そーですねーーーーでもまあウチの母は超放任だしなーーーー。
>alessandroさん
実はこの日ですね、すぐ脇でアルファがミーティングやってたんです。エリ乗ってたんでアレなんですけど、ものすご混ぜてもらいたかったです(笑)
>Nishiさん
ワタシすごいひとり旅(クルマ限定)好きなんです。
気まま気まま〜で。いつか、また…。


by nal (2008-06-18 10:50) 

nal

>はるさん
ウチの彼女も急にひとりになると持て余すようです(微笑)
>mayaさん
今年行きたい!って言ったけど却下されました!(泣)
>poiさん
まあ、自ら足を踏み入れたビンボー生活ですからいばれません…。
>きむたこさん
ホントに明日がみえなかったら、ノホホンとしてられなかったとは思います…。


by nal (2008-06-18 10:52) 

nal

>poiさん
他にも読み違える単語があってですね…以下略、ニヤ。
>ひなぐまさん
おかげさまで〜♪


by nal (2008-06-18 10:53) 

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